2010年4月19日月曜日

古田織部がはたして織部焼を実際に指導したか

 鳴海織部茶碗(岐阜県陶磁資料館
織部の妻「おせん」は摂津・茨木城主の中川瀬兵衛の妹、そして織部の妹はキリシタン大名の高山右近に嫁いでいる「ジュスタ」。美濃焼地元の城主は妻木氏で金山城主の森忠政(織田信長家臣、森蘭丸の弟)の傘下になる。その忠政の妻が中川清兵衛の娘、「ちぼ」であり、このような濃密な繋がりの中から、多くの意見があるがわたしは「古田織部がはたして織部焼を実際に指導したか?」という問題も見えてくると思うのだが・・・・

ゆめみる織部工房群

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