ラベル ぼくのニューヨーク の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ぼくのニューヨーク の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年6月12日土曜日

ぼくのニューヨーク 簡略編 8 自動車の免許

ニューヨークにきて1年半程経ったころ、僕たちは車が欲しくなってきた。まず免許をとることだと話し合い、調べたらインターナショナルドライバーズライセンスを持っていたので学科試験だけ受ければ良いことがわかった。
日本の試験場のようなところモータービークルがマンハッタンのダウンタウンにあり、様子をみるために出かけた。大きなところで窓口にいくつもの列ができていた。僕は質問をしようとなんだか分からない用紙にインターナショナルドライバーズライセンスの番号などを書き込んでひとつの列に並んでいた。だんだん窓口に近づいてもう少しもう少しと思っていたら、そのまま試験会場に送り込まれてしまった。
状況を理解できない、あっという間に試験が始まって、頭が真っ白なまま呆然としていたら、隣の人が「どうしたのか」と聞いてきた。僕はとっさに英語が読めないと言った。途中から彼の答えを見て試験は終わった。僕もスパニッシュの彼も落ちた。

 無駄な時間を使わせないおおらかな国である。

ぼくのニューヨーク 簡略編、 NYに惹かれる若いひとのために。

柴田一佐衛門 略歴 

 
ゆめみる織部工房群

2010年5月21日金曜日

ぼくのニューヨーク 簡略編 7 アートウエア Ⅱ

 SOHOのSprinng.st 付近
1980年、NY「アートウエア」は身につけるアートジュエリーの店としてファッション業界で世界的に注目されていた。このギャラリーのメンバーになるために、毎日作品を持ってアーティストたちが自分を売り込みにいく。1年で500人ぐらい来ていたと聞いた。その中から20人ほど選ばれて毎年春にニュータレントショーが2週間開かれる。この2週間が最終選考の期間となる。ぼくは積極的に売り込んで参加することに成功した。金属でモノを作ることはできたが、実際ジュエリーを勉強したことはなかったので小さな彫刻を造って輪をつけたリングとか同様にクリップをつけてイヤリングにした。でかいブレスレットも造った。ショーがはじまった。自信があるのかないのか分からないようなそんな僕は、店のかたすみでちいさくなっていたそのとき、大きなリムジンが店の前にきて金髪の女性が中に入てきた。ぼくの作品の前に止まり試着をしている。ドキドキしていた。そしてぼくの最初のお客さまになった時の興奮は忘れられない出来事である。1982年二人があたらしくメンバーに選ばれた。アートウエア時代がはじまった。

 ぼくのニューヨーク 簡略編、 NYに惹かれる若いひとのために。

 柴田一佐衛門 略歴 
 
ゆめみる織部工房群

2010年4月20日火曜日

ぼくのニューヨーク 簡略編 6 アパートさがし。

日本クラブ時代 前回の続き 
マンハッタンの中はさすがに住めなかった。やすくて、便利、ということでクイーンズの地下鉄沿線で探すことにした。その当時、1ドル270円、レストランで働くと3000ドルほど皆稼いでいた。円に換算していつも驚いていた。ぼくの仕事は月500ドル、探すところもどんどん物騒なところになっていった。
地下鉄Fトレインのある駅で掘り出し物を見つけた。220ドル/月、早速紹介してもらいオーナーのマスカットさんにあった。彼女がいた僕は連絡をして、了承してもらい、そこにきめた。
「ジャクソンハイツ」、よる仕事を終えて帰るとアパートの入口近くにいつも麻薬をやっている連中がゴロゴロしていて、その人達をまたいで部屋に入っていく時が数年続く。麻薬のメッカだった。そこの思い出は多い。毎日のようにボクの部屋のドアの前に木くずが散らかっていて、少しづつ鍵穴を何かでこじ開けようとされたり、1階にあるクリーニング屋にYシャツを持っていったら、こんなものくらい自分で洗いなさいとやり方を教えてくれたり、人間味のあるところだった。すぐに慣れた。ニューヨークでは6回引っ越した。

心配することはない。

ぼくのニューヨーク 簡略編、 NYに惹かれる若いひとのために。

柴田一佐衛門 略歴 


ゆめみる織部工房群

2010年4月8日木曜日

ぼくのニューヨーク 簡略編 5 テーマがスワン

Ichizaemon ©
若いころは迷いが多い。「どんなものでも、追求すればその中に美がある」
そのことに気づき、ジブンのテーマを早く見つけてほしい。

日本クラブ時代 前回の続き
やはり、運も良かった。
日本クラブで知り合ったデザイナーのアシスタントをするようになり、昼間、日本クラブ、よる、アシスタントと多くを吸収できた。ぼくの作品のテーマがよりはっきりしてきたのもこの頃である。スワンである。これもある時突然、天から降ってきたように好きなり、スケッチを描きまくった。
若い頃はだれも世間知らずで生意気なものだ。「人の真似は嫌だ、今一番重要なことは自分の脳をオレンジとして絞ったとき、どれほどうまいジュースが出るか、それしかない」などと思っていた。何かに取りつかれたような始まりだった。そのスワンがジュエリーとして形になっていった。
その後、ニューヨークでシバタスワンとして知ってもらえるようになる。

ゆめみる織部工房群

ぼくのニューヨーク 簡略編、 NYに惹かれる若いひとのために。

柴田一佐衛門 略歴 

2010年3月29日月曜日

ぼくのニューヨーク 簡略編 4 失敗

Waldorf Astoria Hotel 昔の写真が有りました。
日本クラブ時代 前回の続き
写真を撮る人が他に居なかったので、どんなところにも、どういうわけか、素人の僕がカメラマンとして行かされた。
ある時、日本国総理大臣(大平氏)外交中、ウォルドルフ アストリア ホテル, ニューヨーク (Waldorf Astoria Hotel)のボールルームで日本クラブ、商工会議所主催の大レセプションが開かれ、多くの報道機関が二階のバルコニーから報道しているなか、あろうことか、僕一人が会場カメラマンとして登録されていた。・・・・そんな状況で大平氏のスピーチが始まり、早く写真を撮れと指示された僕は、あわてて、床に置いてあった総理の目の前のワイングラスの林に突っ込んで行った。(偉い方の話を聞くときは床にグラスを置く) 静まりかえった空間を切り裂く音で総理はスピーチを忘れてしまわれたようにかたまり、永遠とも感じられた時間がスローモーションで流れた。・・・・・・・
こんな失敗がまだある。

ゆめみる織部工房群

ぼくのニューヨーク 簡略編、 NYに惹かれる若いひとのために。

柴田一佐衛門 略歴

2010年3月22日月曜日

ぼくのニューヨーク 簡略編 3 ダイヤモンドロー

日本クラブ時代。
僕のような臆病な人間でも、どんな扉も開けた。 どこにも鬼はいなかった。
前回の続き
目標が決まったので、次は、作品を制作するためのリサーチである。調べなければいけないことがいろいろあった。道具の調達、鋳造所は?貴金属を購入するところなど・・・・
ダイヤモンドローの奥深くへ。
僕はユダヤ人の街に足を踏み入れた。マンハッタンの47ストリートの5番街と6番街の間はダイヤモンドローとよばれ、一年中黒いコートで顎髭の一種異様なハシド派ユダヤ人が多い短いストリートだが、そこだけで全米の80%のダイヤモンドが取引されているという。
とても入りづらかったが,ビルの奥へおくへ入り込んで、その中のオフィスのような扉をドンドン開けていった。すると、すべてもモノはそこにあった。おおよそのことはわかった。これで造る目星がついた。
ただそのまちで、ユダヤ人に信用されるには、まずファミリーのようになり、そのあとでパーソナルチェックを受け取ってくれる。気持ちよくビジネスをするには時間がかかった。


大きな地図で見る
ぼくのニューヨーク 簡略編、 NYに惹かれる若いひとのために。
柴田一佐衛門 略歴 


ゆめみる織部工房群

2010年3月18日木曜日

ぼくのニューヨーク 簡略編 2 日本クラブ時代。

どんな時でもそうだが、はじまりほどエキサイティングな時はない。だから、楽しくても苦しくても常に自分を信じてつねにチャレンジしたい。
前回の続き
二人で、クラブ誌を作るので企画は自由に提案できた。マンハッタンの紹介をするページを担当した。それで1年以上、ほぼ毎日カメラを持って外に出かけた。
ゴールドで作品をつくるという、曖昧な目的でNYにきて、この仕事は自分の目標を探すのにうってつけだった。美術館巡り、チャイナタウン、アスレチッククラブ・・・・毎月、歩きまわった。
ある月、ソーホー(アーティストが多く集まっている地区)の取材をしているとき、一軒のギャラリーの前で足が止まった。ベトナム戦争のころヒッピーが粗雑で大雑把なアクセサリーを付けていたが、時が過ぎ、洗練されたアーティストが出てきて、そんな店だった。
感動した。  アートジュエリーの登竜門「アートウエアー」。その瞬間にアメリカでのチャレンジは決まった。

ぼくのニューヨーク 簡略編、 NYに惹かれる若いひとのために。
柴田一佐衛門 略歴 


ゆめみる織部工房群

2010年3月16日火曜日

ぼくのニューヨーク 簡略編 1 Goldに憧れて

 Ichizaemon ©
1980年、 ほとんどなんの情報もないままNYへ、大韓航空で飛び立った。誰も知らないところへ飛び込むのは不安で潰れそうだったが、心配はなかった。どこにいっても大都会なら日本人が必ずいる。
57ストリートに日本クラブがあり、求人の掲示板があった。そこまで行き着けばもう一人ではない。ほとんどは飲食関係の仕事だった。
ぼくは日本クラブの会員誌の編集アシスタントの仕事をみつけた。1年半ほど働いた。

日本クラブ( Phone212‐581-2223   145 West 57th Street)

ぼくのニューヨーク 簡略編、 NYに惹かれる若いひとのために。
柴田一佐衛門 略歴 

ゆめみる織部工房群